同じ釜の飯
最近、数人の懐かしい顔に会いました。また、沢山の年賀状を頂きました。昔、山陰支部で稽古していた方達です。
極真を離れると何か後ろめたさがあるのか、偶然会っても隠れようとする人や挨拶しても知らん顔する人がいます。転勤や就職、部活、組織の分裂など、事情はどうあれ私にとってはかつて師範の下で「同じ釜の飯」を食った仲間です。単に私のことが嫌いなのかもしれませんが本当に残念に思います。
退会の挨拶に来られた時に「道場を離れても習ったことは稽古は出来ます。目指すところは違っても次に会う時にはお互いに成長した姿を見せられるように頑張りましょう」といっています。
辞められた後も時々思い出します。壮年部の方は腰が痛いと言っておられたけど冬、大丈夫かな?いじめや非行で連れて来られた子供達はどうしているだろう?組織が分かれたけど向こうで黒帯取ったかな?など、休まずに出てきていた人とは週3回以上会ってたわけですから退会された当初は何とも言えない気がします。
冒頭に書いた、先日会った人や年賀状を頂いた人は今も頑張っておられるようです。いくら昔強くても稽古を辞めたらただの人です。自分の目指すところで「極真魂」をみせてもらいたいと思います。
次に会う時、来年の年賀状までに、自分も成長した姿が見せられるよう「日々鍛練」です。
今日から出雲二中での稽古が始まります。「同じ釜の飯」を食った人たちに負けないように稽古していきましょう。
押忍。
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