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夢は諦めるまで終わらない

夢がありますか?

 

人からみたら小さくても、自分の心の中に夢があると毎日が楽しいと思います。

 

全日本トップクラスの選手からみれば、小さな夢かもしれませんが、何かの参考になればと思い自分の事を書きます。

 

私の空手での夢は、1992年大山総裁をお招きして開催した全中国ウエイト制にスタッフとして参加した時から抱いたものでした。当時出場されていた先輩方は緑帯になりたての私にとっては雲の上の存在でした。試合場の選手達は本当に格好良く、輝いて見えました。

 

この大会を見て「次の大会は必ず試合場に立つ」と決意しました。この大会で同じ道場の狩野先輩が軽量級で準優勝されました。大会のあと師範が「狩野は本当によくやった。今度は地元からチャンピオンを出さないとなぁ」と仰ってました。

 

そのころは自分が優勝なんて夢のまた夢、でもいつか必ず地元で優勝する。また全日本と付く大会で優勝、入賞すると決めました。しかし、こんな夢を自分が持っているなんていうと「交流試合でも勝てないのに何言ってんの」と言われると思い誰にも言えませんでした。実際、初めて全中国ウエイト制に出る事になった時、先輩から「お前も出るの?大丈夫?」と言われました。

 

その後、特別クラスに参加させてもらうようになりました。仕事の都合で遅れて参加する事が多く、遅れて米子道場に着くと師範が「おぉ来たか!やろうかぁ」と組手の相手をして下さいました。殆ど寸止めでしてもらうのですが、こちらの技はフェイントを掛けてもことごとく捌かれ、アッと思うと前蹴りが上段に来て、ピタッと止まります。私は師範の足の裏を何度も見せて頂きました(笑)。

 

また、岩木先輩は踵落とし、跳び後ろ廻しなどを使われ、わざと当てないように私の頭の上をビュンビュン通しておられました。前田先輩には毎回流血させられました。足を使いながら懐に入るまでは良いのですが、そこから長い手足で鉤突き、下突き、体が丸まったところへトドメの上段膝蹴りで唇や口の中が切れます。毎週、特別クラスに行こうか止めようか、でも「やられたから逃げたと思われたくないので、とりあえず向かおう。本当に嫌になったら引き返そう」と思い向かった結果、また口の中が切れるのでした。

 

交流試合には入門2,3年の黄帯から出ていました。しかし、毎回、笠田先輩と同じブロックに入り1,2回戦くらいで対戦し負けていました。努力賞以外で入賞したのは笠田先輩と違うブロックに入った入門から5、6年後の大会でした。

 

それからは少しずつ優勝、入賞出来るようになり、全日本の大会にも出場するようになりました。しかし、地元の大会では緊張や調整ミス、優勝はおろか入賞さえ出来ませんでした。毎回、本当に申し訳なく、その度に稽古量を増やすのですが、削れるのは睡眠時間、今度は体がもたなくなってきました。

 

そこで発想を変えウエイトトレーニングやダッシュを減らし、部位鍛練や型、立禅、這いなどの稽古の量を増やしました。

 

迎えた第4回オープントーナメント全山陰空手道選手権大会、城南の藤井選手、奈良の船先選手など全日本トップクラスの選手が多数エントリーしてきました。普段、全日本に出ないと対戦出来ない選手達なので嬉しいのですが、山陰支部が優勝するのには大変なことになりました。その上、山陰勢の戦力、小谷と谷口(現京都支部長)が欠場。

 

結果は4位と又しても山陰勢の優勝は出来ませんでした。

 

その後、顔面ありのルールで全日本で準優勝と夢の一つは叶いました。でも負けは負け悔しくて眠れませんでした。相手がどうこうよりも、全日本の決勝の舞台で焦ってしまった自分の気持ちの弱さが嫌になりました。

 

そんな中、世界大会の選抜を兼ね、08秋の全日本がウエイト制で開催されると聞き出場を決めました。ずっと稽古は続けてきているものの、かつて特別クラスに出てきていた選手達は試合は引退。ずっと一緒に大会に出ていた谷口選手も京都支部長に就任。特別クラスの参加者はいなく稽古はいつも一人きりでした。

 

そこで米子道場の住田と和に頼んで週一回、組手の相手をしてもらいました。また、会場に応援に行けないからと沢山の先輩、後輩、黒帯の方から餞別を頂きました。大会では和と前田先輩を初め、三好支部長、谷口支部長までもがセコンドに付いてくれました。久しぶりの試合と外人選手には絶対負けたくないという変なプレッシャーから自分の闘い方を忘れ、頭に血が上り負けてしまいました。

 

師範からは「良くやったよ。体は大丈夫か?軽量級でもパワーあっただろう。グルジアのチャンピオンだからなぁ。でも、外人と対戦できることも少ないし、良い経験をしたよ」と声を掛けて頂きました。

 

谷口支部長からは「師範代、何であそこで回らずに打ち合ったんですか?普段あんなことしないでしょう?」と言われ「頭に来てしまった。これで(試合を)終わりにするわけにはいかんなぁ」といって、その夜は前田先輩と飲みました。

 

今年の初めに師範から6月に山陰大会をすると聞きました。これで勝つためには試合の感覚を取り戻さないとと思い、3月に行われる香川のこんぴら杯への出場を決めました。結果は優勝でしたが決勝戦は不戦勝でした。しかし、ここでの闘いで自分の感覚とのズレを修正することが出来ました。

 

4月から山陰大会に向け特別クラスを再開しました。対象は一般部と壮年部。集まるのは30歳以上ばかりでした。狩野先輩をはじめ、倉吉の北村さん、岡本さん。安来の福田さん。米子の廣澤さん、服部さん。皆さん40歳以上四捨五入すると50歳の方もおられます。年齢に関係なく稽古に打ち込む姿勢は本当に関心しました。おかげで自分も集中して稽古することが出来ました。

 

そして迎えた第7回オープントーナメント全山陰空手道選手権大会、前日の準備も休ませて頂き試合に集中することが出来ました。前日は最後かもしれないと思うと、久しぶりに極度の緊張に襲われました。しかし、会場に着くと不思議と落ち着きました。今まで一緒にやってきた先輩、後輩、少年部の顔が見えたからだと思います。

 

大会では優勝することができ、夢を叶えることが出来ました。夢を抱いてからは17年、入門してからは20年が経ってしまいました。

 

夢を叶えるまでには本当に色々ありました。しかし、「夢は諦めるまで終わらない。諦めたら終わり」とずっと思ってきました。

 

先輩の背中を追いかけ先輩に支えられ、先輩、後輩と別れ、また出会い。空手を始めて20年本当に良い先輩、後輩に巡り会えたと思います。湖山師範が山陰に道場を出しておられなかったら出会うこともなかったはずです。本当に感謝しています。

 

サラリーマンも辞め、子供が生まれても風呂にも入れず、家族にも迷惑を掛けたと思います。

 

今回の優勝は本当に多くの人に支えられて叶った夢だと思います。本当に有り難うございました。

 

毎回、今度こそ師範に美味しい酒を飲んでもらおうと大会に出場してきましたが、20年も掛かってしまいました。山陰大会の後に頂いた酒の味は一生心に残ると思います。

 

これからまた夢を持って日々鍛練/生涯修行をしていこうと思います。

 

押忍。

 

 

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